人間とは社会的生き物。

ピンときてなかった

人間とは社会的生き物、とよく言いますが、私は長い間この言葉にピンときていませんでした。社会と自分との関係について考えたこともほとんどありませんでした。その必要性に迫られることがなかった、それは、親、学校、会社と常に周りが評価してくれる環境下にあり、当たり前すぎて考えてなかったということです。別に社会なんて気にする必要なくないか?くらいに思ってました。

会社を辞めて

会社を辞めて人生で初めて組織を離れ一個人なってみると、清々しい気分の一方で社会との関わりから逸れたような妙な孤立した気分になる時もあります。所属組織がなくなることは、社会的にはちょうど自分のトップレベルドメイン(.comとか.co.jpとか)が不明になるような、そんなイメージです。生きていくには、また自分の存在を意識するために自分でトップレベルドメインを作っていく必要があることに改めて気づかされることになります。それは望んでいたことだし、それをしたくて会社を辞めたのだけれども、体感レベルでそれを感じるとともに、社会をこれまでよりも相対化して強く意識するようになったわけです。人間はどうしても社会と関わろうとするし、関わらないと生きていないものなんだ、と。

明日は

時代の変化との付き合い方 についてです。

人間とはメディア

人間って何だろうか?結論メディアなんじゃないか、と思ってます。人間活動をすごく単純化するとインプットしてアウトプットする。すべてこれに集約できます。なので、メディア、媒体だと思っています。

世の出来事(物理)→知る、覚える、考える(情報)→行動(物理)

すべてこの繰り返しです。インプットの時点で出来事を情報変換して、アウトプットの時に情報から物理行動に再変換しているわけです。物理→情報、情報→物理 が私と世の中との接合活動です。

私は元々、ブログやSNSを書くことはダサい、と思っていました。そんな私がブログを始めた理由は、人間とは結局メディアだと認識したことがきっかけです。結局私が何ものであったか、というのは社会が判断することです。社会との私の接合活動は情報変換であるのならば、その能力を磨かないと私が何者でもなくなってしまう、ということと等しくなるわけです。何も騒がしく、派手派手しく、というわけではなく、自分らしい表現を追求すればいいのですが、私が日々考えていることを形にして社会に出すことが、自分が何者たるか、そのものだと考えるようになりました。その形にする力を鍛える手段の一つがブログと思うようになりました。

他にも自分の考えを表現できるメディアは沢山あるので、どんどん挑戦していきたい、と思っています。

明日は

人間とは社会的生き物  についてです。

人生訓をどう使っているか

人生を愉しむ。

愉しむためには自由が必要。

自由には責任が必要。

責任とは強さと優しさと資本を持つこと。

the Present is gift、知覚動考。

客観と継続、感謝が力になる。

日課

この人生訓はこうありたい、だからこうありなさい、という自分への訓示のようなものです。つまり、まだできているわけではなく、高い目標なので、身体に染み渡らせるために毎朝唱えるようにしています。自分は何のために生きていて、どう生きたいか、と毎朝確認するのです。パワーが湧きます。

いつでも死ねるように

人間、いつ死ぬかわらない。私の父親も突然倒れました。志村けんさんも突然でした。思いもかけず、突然死ぬことは珍しいことでもありません。いつでも死ねるように、いつ死んでも後悔のないように、漫然と過ごすことは止めよう。毎日どう生きたいか意識して生きる、そのためにこの人生訓をつくりました。実は内容は少しずつ変化しているし、これからも変化していくと思います。また時が来たら、変化を見てみようと思います。

明日は

人間とはメディア という話です。

客観と継続、感謝が力になる。

これまでの5行は価値観を書いてきました。最後の1行は価値観を果たしていくための工夫です。

客観

自分は感情の振れ幅が激しい方です。これまでは若さと勢いだけで突っ走ってきたと思ってますが、最近は客観視することが自分の中でかなり重要になってきてます。感情ももちろん重要ですが、あ、今自分感情的になってるなと感じた時には、自分を俯瞰で見る自分を強く意識するようにしています。感情はパワーにもなれば、理性を狂わせる物にもなるので、感情をコントロールする客観視を心がけてます。

継続

自分は結果を急ぎがちです。昔から一夜漬け人間で、それでなんとかやってこれたと思っている経験がそんな思考を身につけさせているんだと思います。実はこれ、勘違いで、これまでは学校や部活や会社で「やらされていた」結果、できるようになった、というだけで、一夜漬けでもなんでもなかったんだということに気づき始めてます。なので、結果がすぐに出るほど世の中は甘くない。急ぐな、急ぐな、少しでいいから、その代わり、とにかく毎日続けることが大事だと、自分に言い聞かせています。毎日少しずつ続けながら、少しずつ改善していく。習慣化できたことが実力になる。

感謝

自分の意思で物事を続けることは簡単じゃないです。きつい時には何のためにやってるんだ、と諦める言い訳を考えがちです。そうならないためのコツは、感謝の気持ちを持つこと。あらゆることに感謝するようにする。例えば、自分が身を置く環境に感謝する、健康に感謝する、パートナーに感謝する、世の中に感謝する 。そもそもいますぐ死ぬ可能性もあるわけで、死なずに生きていられるそれだけに感謝する、ということができるようになると、今の命に感謝してまだまだ頑張れるようになる。今の環境を当たり前と思わない。そんなことを朝起きたときと寝る前に習慣にするようにしています。

明日は

6回に分けて話してきた人生訓についてもまとめです。

the Present is gift、知覚動考。

GACKTの勝ち方

この本から貰えたパワーはとても大きい。この本にはGACKTからのエールが詰まっているが、まさに強さと優しさをビシビシ感じることができます。この本をきっかけにYouTubeなど彼関連の映像を片っ端からみましたが、昔からブレずにGACKT道を貫いてます。どんな場面でも自分の空気を持ち、場面も受け止めています。そしてものすごく優しさも感じます。目指すべき人物像の具体例の一人です。

the Present is gift

そんなGACKTの言葉の一つがこれ。Present(現在)is Present(プレゼント)=gift(贈り物)。何かができるのは、何かを変えられるのは現在、今だけ。過去にも未来にも何もできない。だから、現在というのは贈り物なんだ。という考え方です。人生は今の積み重ね、今やらなくていつやる、と。とにかく「今何をするか」を問いかける重い言葉です。

知覚動考

GACKTが大事にしている言葉だそうです。普通は「知って→覚えて→考えて→動く」。成功するには「知って→覚えて→動いて→考える」。知って、覚えたら、考える前に動け。ということです。これを読んだ時スポーツを同じと思いました。ルールを知って覚えたら、普通は考える前にまずは動いて感覚を掴もうとします。自分の身体を会話して、それから考える。自分へのカスタマイズをしていく、という感覚です。これはスポーツだけじゃなくて、ビジネスにも人生にも当てはまる、ということを言っていると私は解釈しています。私は考え悩みがちなので、これを肝に銘じています。ちなみに、「知覚動考」は「ともかくうごこう」と読みます。

the Present is gift、知覚動考

強さと優しさと資本を手に入れるために、「今、動く」ことが一番重要だと思ってこの言葉を入れてます。

明日は

人生訓の最後。  客観と継続、感謝が力になる。 です。

責任とは強さと優しさと資本を持つこと。

強さと優しさ

責任とは全てを自分ごととして受け止めること、その度量です。度量をもつために精神的に必要なのは「強く」「優しく」あることだと思います。自分が強ければ、人に優しくなれます。優しい人は強い人、とも言えます。何ごとも強く優しく包み込むようにして自分ごととして受け止められる精神を目指す、という気持ちです。

資本

さらに責任の度量を持つためには、物理的には強い「身体」、豊富な「資金」が必要だと思います。それを「資本」と書いています。強い身体がなければ強い精神は宿りません。不健康だとまともな思考もできなければ、行動も消極的になってしまいます。なので、僕は毎日2時間位運動するようにしています。毎朝スッキリ目覚められますし、思考がスッキリと前向きになります。太っていると体が重く感じて、思考も行動も億劫に感じます。強い身体をつくることは最も重要なことです。「資金」も大事です。「資金」によって助けられる人は大勢いますし、ことを起こす場合に「資金」が必要になることも多いです。また、「税金」という形式で国家運営への責任を果たす、という側面もあります。自分ごととして受け止め、行動する際に「資金」があるとできることが飛躍的に広がります。なので、資金を増やすことも非常に重要なことです。

受け止める度量を持つために

精神的には強さと優しさを、物理的には強い身体と豊富な資金をつくり上げることを目標においています。

明日は

the Present is gift、知覚動考。 についてです。

自由には責任が必要。

反応の自由

先日「我々は反応の自由がある」という話をしました。今日は人は反応する自由を持っているが、反応には責任が伴う、という話です。考えてみれば当たり前のことで、反応の積み重ねがその人の人生に跳ね返ってくるわけですから、本人の意思にかかわらず、責任を負わざるを得ない、ということです。

responsibility

ところで、責任を表す「responsibility」には反応、応答と表す「response」という言葉が入ってます。bilityは「○○出来る能力」なので、反応出来る能力→責任 ということになります。

全てを自分以外のせいにしない

「自由には責任が必要。」に込めた意味は「人はどんな反応をするか選択できる自由を持っているが、そこには責任がつきまとう。なので、積極的に責任を背負いながら自由を謳歌しよう」ということ。別の言い方をすれば、全ては自分の事(責任)として受け止めて、何ごとも環境や他人のせいにしない、ということでもあります。責任というのは悪いことではなく、自分ごととして受け止める、という理解です。そして、受け止める度量(責任)の大きさが自由の幅を広げる、ということだと思います。

明日は

「責任とは強さと優しさと資本を持つこと。」についてです。

愉しむためには自由が必要。

自由

人生を積極的に愉しむためには自由であることを意識する必要があると思ってます。ここでいう自由というのは7つの習慣で感銘を受けた考え方です。人はどんな物事に対しても反応の自由があり、大小数えきれない事象に対して、数えきれない反応をして今に至っている、ということ。

反応

寝坊した時にどんな反応をするか、ついいらっとした時にどんな反応をするか、失敗した時にどんな反応をするか、集中できない時にどんな反応をするか、挫折した時にどんな反応をするか、コロナ禍の世の中でどんな反応をするか、、どんなことも「反応の自由選択」のもとで過ごしている、そしてその積み重ねがその人の人生。どんな時も反応は自由であるという自覚を持つことが人生を積極的に愉しむために必要、という意味を込めています。

明日は

「自由には責任が必要。」について説明します。

人生を愉しむ。

愉しむと楽しむ

1行目の人生を愉しむ。「愉しむ」には楽しむとは違って、積極的なニュアンスが強い。「楽」はラクとも呼ぶように、受動的な意味合いが強い。

快楽の恐ろしさ

僕は「楽」は「快楽」と同義と捉えています。快楽を求めるというのは、身体的に浅はかに与えられる、受動的で従属的な欲。ラクをする、ということです。集中力が続かない、ダイエット中だけどちょっとなら食べていいでしょ、冷静さを無くしてしまった、、。日々快楽との戦いばかり、、人生最大の敵は「快楽」とさえ考えるようになりました。強くなるというのは快楽欲をコントロールできるようになることだと思ってます。そのくらい、「快楽欲」というのは人間を狂わせる強敵です。仏教で言うところの煩悩。変わらない人生の本質だと思います。

愉しむ

能動的、積極的に味わうことが愉しむ。僕はサラリーマンをしながら、人生を愉しむ、という感覚を失いかけてしまってました。受動的で従属的な自分になってしまい、こんなに虚しいものか実感するようになりました。昔は当たり前にやっていた愉しむ、という感覚が自分の人生にとってどれほど大切なものかを実感するようになりました。安定した生活が保証される給与を貰っていても、地獄の苦しみでした。そんな経験から、人生訓、すなわち最も大事にしたい価値観の1行目にこのことばを持ってきました。「人生を愉しむ。」=「一度きりの人生、積極的に味わい尽くせ。ラクするな。」

明日は

2行目「愉しむためには自由が必要。」について説明します。

人生訓

これが、私の人生訓です

人生を愉しむ。

愉しむためには自由が必要。

自由には責任が必要。

責任とは強さと優しさと資本を持つこと。

the Present is gift、知覚動考。

客観と継続、感謝が力になる。

明日は

明日から人生訓に込めた意味を1行ずつ説明していきます。