
私は東京の武蔵野方面に住んでいるのですがここの雰囲気がとても好きです。自然と都会が入り混じった雰囲気を非常に気に入っています。人も穏やかな人が多いと思います。スタジオジブリはじめ、漫画、アニメクリエーターの多くが事務所を構えるのも都心へのアクセスとこの落ち着いた雰囲気に惹かれているのだと思います。自分はよく自転車で新宿までサイクリングしますが、何度やっても飽きません。これからも武蔵野には住み続けると思います。
ー強く優しく自由に
自分の思考の癖。
会話しているその場で考えられない。自分の時間を作らないと考えを出せない。最終的に人の考えに流される。でも自分の考えは捨てきれない、、
他の人は自分の考えを常に持っている気がする。自分は常に持ちきれてない気がする。いつも他人に答えを求めている。
最近思った。
世の中に答えはない。
世の中は「事実」と「思考」でできている。
俺が学校の授業でやってきたことは「事実」を知ること。
自分の考えを強く持つこと。自信を持って話すこと。これができないことに劣等感を感じていたのかもしれない。本気でいいと思うものをいい、とはっきり言えない。中学生あたりからかもしれない、どんどん周りを意識し始めたてから。
思春期になって、周りにダサい、と思われたくない、という思考が強くなった気がする。そして、いいと思うものをいいとか、本心でやりたい、と思うことをやりたい、と言わなくなっていった。そして、どんどん勲章を求め出すようになっていった。
結局は、それが自分に自信が持てなくなっている理由になったんだろう。自分には嘘はつけないから、自分が空っぽに感じる。
昔は、いいものを純粋にいいと思って、絵をたくさん書いたり、習字も楽しかったし、論文書くのも楽しかった。純粋に楽しんだことは、自分でも自信が持てた。思いもよらない結果にもなった。
今でもダサいのはいやだ。でも本当のダサい、は何かと考えるようになった。
自分で純粋にいい、楽しい、共感できることを追求することが自分の考えに体感を伴って、自信に繋がる、ということだと思う。
自分は何にどう反応するのか、感じるのか、考えるのか、それを純粋に重ねていくことが、自分を作ることになるんだと思う。
そして、ただ、漫然と感じるだけじゃなく、それを言語化することで、思考を味わい深く嗜めるし、さらに追求できる喜びがある気がしている。言語化しないと、単純に忘れるし、頭が整理できない、追求もできない。
哲学する、って昔からいうけど、こおいうことなのかも。
俺はすぐに答えを「知ろう」とばかりしてきた。知るのは答えではなくて「ファクト」、そしてその先に反応した自分の思い、考えを言語化していく。
言語化が圧倒的に足りない。
言語化は自分の発見。それが自分の存在を確認できることになる。それが哲学と呼ばれるものじゃないか。
どんな音楽が好きかと聞かれたら間違いなく上げるのがnujabesです。もともとGANGSTARRなどJAZZY-HIPHOPは好きでしたが、nujabesを聞いた時には10年来の衝撃を受けました。しかも日本人。大体に日本人の作るアンダーグラウンド音楽は真似事にしか聞こえてなかったのですが、nujabesの曲は圧倒的にオリジナルで、自信に溢れた完成度でした。2004年ごろのタワレコの試聴コーナーだったと思いますが、聞いた瞬間その場をはなれられず、聴き続けてしまったのを覚えています。当然そのまま購入して毎日聞いていました。その後社会人になって音楽を聴くこと自体離れていましたが、2010年に彼は交通事故で亡くなっています。36歳の若さです。巨大な才能は若くして亡くなることも多いですが、彼もまたその一人でした。今サブスクになって、当時持っていなかった楽曲やライブ音源も聴けますが、今聞いても圧倒的にいいです。またもや仕事中に毎日聞いています。
3の法則とよく言います。例えば禁煙は3日、3週間、3ヶ月、3年が区切りで突然吸いたくなると言います。逆に言えば、それを越えれば大丈夫、と。これは体感的にも当てはまります。習慣にするには最初の3週間が大事とも言います。小学校低学年、小学校高学年、中学、高校の3年ですl。他にもオリコン年間1位は最大3年が限度。ユーミンもドリカムもAKBも3年でした。これは人間のバイブレーションの周期みたいなものが関係していると思います。ホップステップジャンプを繰り返して飽きないようにしているんじゃないかと思います。これは人生にも当てはまると思っていて、3年で人生は変えられると思います。3の法則で計画を立てると上手くいくのではないかと思っています。
みんな自分のいいと思うことを、他の人にも味わってほしい、でその気持ち良さを共鳴されることで、気持ち良さがさらに広がるということがあると思います。お金持ってもビジネスをやめない人が感じているビジネスの面白さって、実はそこなんじゃないかと思いました。自分が気持ちいい、と思ったことを世の中も気持ちいいと感じてくれるか、と試している、反応された時の気持ち良さがやめられない、といったことです。ユーミンがすごく納得感のあることを言ってた。パーソナルな部分をずーっと突き詰めると、あるときマスに共感されるポイントが出てくる、と。表面上はみんな否定したり、違うことが沢山ある。でも、深いところで感じてること、意識してなくても気づかされる共通感情とか、感覚って、あるんだろうと思います。それが深いほど、普遍的でマスになる。そこを刺激された時に多くの人が反応する。そのツボを探すのは自分を深く深く突き詰めることかもしれない。最後は自分の感覚に頼るしかないから。だから、自分と対話して、対話して、なんで気持ちいいとか、深く突き詰め続けることが大事。そして、その原点は人と繋がりたい、という根源的な欲求なんだと思います。