
愉しむと楽しむ
1行目の人生を愉しむ。「愉しむ」には楽しむとは違って、積極的なニュアンスが強い。「楽」はラクとも呼ぶように、受動的な意味合いが強い。
快楽の恐ろしさ
僕は「楽」は「快楽」と同義と捉えています。快楽を求めるというのは、身体的に浅はかに与えられる、受動的で従属的な欲。ラクをする、ということです。集中力が続かない、ダイエット中だけどちょっとなら食べていいでしょ、冷静さを無くしてしまった、、。日々快楽との戦いばかり、、人生最大の敵は「快楽」とさえ考えるようになりました。強くなるというのは快楽欲をコントロールできるようになることだと思ってます。そのくらい、「快楽欲」というのは人間を狂わせる強敵です。仏教で言うところの煩悩。変わらない人生の本質だと思います。
愉しむ
能動的、積極的に味わうことが愉しむ。僕はサラリーマンをしながら、人生を愉しむ、という感覚を失いかけてしまってました。受動的で従属的な自分になってしまい、こんなに虚しいものか実感するようになりました。昔は当たり前にやっていた愉しむ、という感覚が自分の人生にとってどれほど大切なものかを実感するようになりました。安定した生活が保証される給与を貰っていても、地獄の苦しみでした。そんな経験から、人生訓、すなわち最も大事にしたい価値観の1行目にこのことばを持ってきました。「人生を愉しむ。」=「一度きりの人生、積極的に味わい尽くせ。ラクするな。」
明日は
2行目「愉しむためには自由が必要。」について説明します。